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human being? human doing?
- Yosuke Furuta
- 2015年7月1日
- 読了時間: 2分

でもさ、それじゃあ成長がないと思わない?
だから、つらいけどがまんしてがんばる。
なにか、自分のすることを見つけないと!
だって、そうしないと役に立たないし、存在の意味がないもの……。
今自分がここにあること、つまり存在の意義と
自分がなにかをすることで、誰かが満たされること。
これはべつのものだと思います。
すべてのひとは、存在するだけで、意義がある。
そして、その上で、何かしたくなって、それをすることで、
たまたま、誰かが満たされるかもしれない。
(そのときであっても、まず自分が満たされるとおもいます。 だって、自分がしたくってそれをしているから)
なにかをしなければ「存在」の価値がないのではなくて
とくべつななにかをしなくても、存在の意義も価値もある。
それでもしも、なにかをしたくなって、それをしたときにもしかしたら
だれかがよろこんで、その「行動」が賞賛されたりするかもしれない。 存在の価値と行動に付随する功績はまったくべつもの。
木々はただそこにただあるだけで、でも、かけがえのない存在です。
その呼吸や循環が、大きな環の中では必要不可欠です。
おおきなおおきな地球の、宇宙の循環の中では
なにかとくべつなことをすることではなくて、
ただその流れの中で生きているだけで尊いものです。
ただ呼吸をしてそこにあるということを感じてみる。
そうしたら、もうそれだけでいいんだってことが感じられる。
成長しなければならない、なんてことはないとおもいます。
みんな、そのままで完全だから。
"human doing"ではなくて"human being"というのには
それなりに意味があるのだとおもうのです。
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