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死んでもいいのだ!

  • 2015年8月13日
  • 読了時間: 3分

ようやく、自分にゆるせたこと。

死んでもいいんだっていうこと!

わーい! なんて自由なんだろう!

生きなければならないというおもいこみ。

死んではいけないというおもいこみ。

なんでそんなふうにおもっていたんだろう。

生きる以上、必ず死がやってくるっていうのに!

死んではいけない。

そんなふうにおもうとき、とても窮屈で

自由が奪われたような感じ。

どんなものであれ、そこにあるものを否定するっていうのは

とんでもなくエネルギーを消費するうえに、しんどい。

死んではいけない、生きなければならないということと、

生きよう、生きたい、ということは これはまったくだいぶ、ぜんぜん、おおきく、ちがう。

15年ちかく、西洋医学の薬を医者に言われるがまま飲まなければいけないものとして飲み

でも、いろいろ違和感があって3年前にアーユルヴェーダの薬に切り替えました。 それによって得たものってすごく大きい。 (そのことについてはこちらの記事で)

でも、その理由は「生きなければならない」だったわけです。

その「ねばならぬ」は、自分を縛り付けて、身動きが取れないような感じになっていました。

ああ、生きることはノルマではないんだ。

それが肚(ハラ)に落ちたら、とても自由で、のびのびと、この生を楽しめる感覚があります。

そうしたら、今、飲みたくない薬はもうやめていいんだなあと。

毎晩、それを「飲まなければならない」ものとして飲んでいたから疲れた感じがあった。

HIVに対する薬としては、西洋医学とアーユルヴェーダではそのアプローチはちがうのだけれど、

それがなんであれ、自分が飲むのはなんでだろう、っていうのを大事にしたいなあと思います。

そんなわけで、アーユルヴェーダの薬も手放し、とっても軽やか。

(しかもちょうど欲しいという人がいたのであげたら、興味深い本をたくさんくれた!)

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と、ここまで書いてしばらく放置していました、実は。

なんていうか、これはもしかしたら緩慢な自殺なのではという疑いもまたあったから。

でも、尊厳死と安楽死について、ある老師のお話を聞いてその疑いもめでたく晴れてすっきり。

ちなみにこのふたつのちがいはこんなかんじ。

“ 尊厳死は、延命措置を断わって自然死を迎えることです。これに対し、安楽死は、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めることです。どちらも「不治で末期」「本人の意思による」という共通項はありますが、「命を積極的に断つ行為」の有無が決定的に違います。”

(日本尊厳死協会ウェブサイトより)

今はとってものびのびしたかんじで、 心身ともにピンピンしていて、とても元気です。


 
 
 

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