そのさきにあるものについて
- Yosuke Furuta
- 2015年7月8日
- 読了時間: 2分

たとえば、約束した時間に遅れそうなとき。
急いで準備をして、急いで歩いて。
もしかしたら、ダッシュでどこかに向かうかもしれない。
そうしてもう、わたしは、ここではないどこかへといってしまう。
どうやらマインドは、今ではなく、未来にこそいいことがあると信じているようです。
これから誰かと会う時間、今日よりも明日、来年や10年後。
あるいは、いつだか分からないけれど、未来のいつか。
今、この瞬間のいのちのきらめきよりも
今ここにはない、そして体験するかどうかも分からない、
未来のことを大事にしてしまう。
それが起きる保証などなにもないし
次の瞬間死んでしまう可能性だってあるのに、
なぜか、未来にはいいことがあると信じきっているようなのです。
ああ、マインドってやっかいだなあ、とときに思います。
(ちょっとかわいくみえることもあります)
そんなマインドというやっかいな妄想生成機能が搭載されてはいるけれど、でも、
ひとたび、ある道具をつかうと、その機能が役に立たなくなってしまうことだって
ちゃんと知っています。
その道具が、からだ。
からだにおきていることは、まぎれもない今この瞬間の現実です。
その現実をみすえているとき、妄想はどこかへいってしまいます。
からだで今、おきていること、
たとえば、寄せては返す波のように、ただくりかえす呼吸。
その呼吸にただ、そっと寄り添うとき
妄想の世界から現実に自分を引き戻すことができます。
でも、未来に思いを馳せて妄想しているうちに
ついうっかりその道具があることをわすれてしまうみたいなのです。
その道具を上手に使いこなせれば
未来ではなく、今、自分がいるところこそが
完璧に安全でリラックスできる場所だということを思い出せるのに。
そこは、しあわせであるために、
なにも必要としないところ。
安住の地。
楽園。
そんなすてきな場所にいるのに、妄想でそのことが見えなくなってしまうなんて
わたしったらいったいなにがしたいのでしょうねえ(笑)。
Comments