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さようならを、きちんと 後編


生きていくなかでは、どうにもやり直しがきかないことってあります。死別はその分かりやすい形でしょうか。その温かい体を持ったその人にはもう会えない。そしてそれは、どんなに泣いてもわめいても、どうすることもできません。「別れ」を経験すると、悲しみや寂しさ、孤独、喪失感などがやってきます。でも、これらの感情とともにいるのは、心地いいものでもありません。だから、ポジティブなことを考えたり、あるいは、甘いお菓子やお酒、スポーツや仕事に打ち込んだりと、その感情から逃れられることをして、なんとかやりすごそうとします。

でももうどうにもならないこと、つまり何かとの「別れ」は、何かをしたところで消えるものではありません。そして、それを経験して自分にいろいろな感情がわき起こっているという事実もまた、変えられるものではありません。感情を司る脳の部位には、時間の概念がないそうです。つまり、今のこの感情をきちんと消化しない限り、それはそこに残り、時を経ても新鮮な状態で取り出される、ということ。

「別れ」がどれほど悲しいことか、つらく残念なことか。そんな感情がわき起こっていること、そんな自分を受け入れて、その悲しみを嘆くこと。「そうであるならば」「そうでなければならないならば」。そうしてはじめてその「別れ」を完了することができます。そんなふうに「さようなら」を言うことではじめて、次の一歩が踏み出せるのです。

フィリピンに旅行に行ったときに、誰もいないビーチでみつけたココナッツ。実がなって、それが落ちるからこそ、芽が出て新しいいのちが育っていくんですね。

参考文献

『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』竹内整一著/ちくま新書